大粤民国(両広)のすべての側面を説明します
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広西

Jul 30th, '11, 22:47

広西


広西壮族自治区
簡称: 桂 (拼音: Guì )

簡体字 广西
繁体字 廣西
拼音 Guǎngxī
カタカナ転記 コワンシー
自治区首府 南寧市
最大都市 南寧市
区委書記 郭声琨(前広西チワン族自治区副主席、元中国アルミ公司総経理)
自治区主席 馬飆(前南寧市委書記、元百色市委書記)
面積 236,700 km² (9位)
人口 (2005年)
- 人口密度 49,250,000 人 (10位)
208 人/km² (20位)
GDP (2008年)
- 一人あたり 7,172 億元 (17位)
14,966 元 (26位)
HDI (2006年) 0.755 (中) (21位)
主要民族 漢民族 - 61.46%
チワン族 - 32.6%
ヤオ族 - 3%
ミャオ族 - 1%
トン族 - 0.7%
コーラオ族 - 0.4%
地級行政区 14 個
県級行政区 109 個
郷級行政区 1396 個
ISO 3166-2 CN-45
公式サイト
http://www.gxzf.gov.cn
広西チワン族自治区(こうせいチワンぞくじちく、チワン語: Gvangjsih Bouxcuengh Swcigih(クヴァンスィー・ポウシューン・スーシーキー))は中華人民共和国南部の自治区。中国最大の少数民族チワン族の原住地。隣の広東省と併せて「両広」と言われることもある。首府は南寧市。かつての広西省。

目次

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1 地理
2 民族
3 歴史
4 行政区画
5 経済
5.1 農業
5.2 工業
5.3 外資投資
5.3.1 日系企業
6 交通
6.1 空港
6.2 港
6.3 道路
6.4 鉄道
7 ベトナムとの関係
8 友好関係にある自治体
9 関連項目
10 外部リンク
地理 [編集]

西は雲南省、北は貴州省、湖南省、東は広東省と接し、南はトンキン湾に面する。南西はベトナムと国境を接する。北部には東西に南嶺山脈が走り、湖南省との境をなす。珠江の流域が区の内陸部の多くを占める。

亜熱帯性気候で、二期作、三期作が可能である。

著名な観光地桂林が東北部に所在する。

民族 [編集]

漢族: 2,702万人 (62%)
少数民族: 1721万人 (38%)
チワン族: 1,520万人
ヤオ族: 147万
ミャオ族: 46万
トン族: 30万
コーラオ族: 17万
マオナン族: 7.4万
回族: 3.3万
プイ族: 2.1万
キン族: 2万
スイ族: 1.5万
イ族: 9712人
満族: 9576人
歴史 [編集]

「広西省」も参照

広西チワン族自治区は約5万年前の旧石器時代は柳江人、白蓮洞人の活動地域であった。史書の中では古くは百越あるいは百粤の名称で登場し、チワン族は古代の百越の西甌及び雒越支系の末裔であると考えられ、広西に最も古くから居住していた民族である。

前221年、中国統一を達成した秦朝は広西に桂林郡及び南海郡、象郡(後者2郡は一部)を設置している。宋代になると広南東路及び広南西路が設置され、現在の広西全域及び雷州半島及び海南島を管轄した。元末になると広西行中書省が設置され、「広西」の名称が使用され移、中華人民共和国初期に至るまで広西 省の名称が使用された。

中華民国時代は新桂系軍閥の勢力下に於かれていた。1949年12月11日、中国共産党により「解放」されている。1958年3月5日、広西チワン族自治区に改編された。

行政区画 [編集]


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行政区域は14の地級市からなる。

南寧市
柳州市
桂林市
梧州市
北海市
防城港市
欽州市
貴港市
玉林市
百色市
賀州市
河池市
来賓市
崇左市
経済 [編集]

広東省の製造部門 広州市から高速道路で数時間 大型港湾を複数保有する、沿海地域 ベトナムに隣接

農業 [編集]



伝統的な棚田
サトウキビ、桑蚕繭、漢方薬材、松脂(ロジン) - サトウキビから作る砂糖は全国の60%のシェア 

工業 [編集]

発電、機械工業、アルミニウム、製紙(サトウキビの搾りかす利用)、冶金、建材、食品加工

自動車 
上汽通用五菱汽車(上海汽車とゼネラルモーターズの合弁会社)
東風汽車
一汽集団柳州がトラックなどを生産
自治区政府は自動車部品産業振興に重点を置き、柳州に部品生産基地を開発中。

外資投資 [編集]

広西統計年鑑(2004年)によると、香港企業による投資が一番多い。

日系企業 [編集]

日系企業の投資総額:588万ドル
日系企業数:159社
製造業:36.4%
不動産:20.4%
社会サービス業:18.2%
NEC、ミヨタ(シチズン子会社)、ダイセイ化学、王子製紙、丸紅、荒川化学など。

交通 [編集]

空港 [編集]

5カ所の空港:

南寧 - 南寧呉墟国際空港 - 香港、マレーシア、タイ王国、ベトナム便、国内線
桂林 - 桂林両江国際空港 - 国際線:香港、マカオ、ソウル、バンコク便、国内線
梧州 - 定期便なし
柳州 - 国内線
北海 - 国内線
港 [編集]

欽州港、防城港、北海港があり、いずれも大型コンテナ船の乗り入れが可能。鉄道があるため、貨物の積み降ろしも便利である。

道路 [編集]

2005年末、重慶市 - 貴州省 - 広西 - 広東省・湛江市を結ぶ全長 1,314 キロメートルの高速道路が開通
広東省と梧州を結ぶ「広梧高速道路」が建設中
桂林と梧州を結ぶ「桂梧高速道路」が建設中
南寧 - 友誼関(中越国境)を結ぶ「南友高速道路」(全長 180 キロメートル)
鉄道 [編集]

雲南省、貴州省、湖南省、広東省、ハノイに結ばれている。

ベトナムとの関係 [編集]

自治区南部の凭祥市にある友誼関は中国とベトナムとの主要な門戸となっている。これ以外にも自治区はベトナムと長大な国境線で接しており、住民同士が日常的に行き来している。1979年の中越戦争勃発によって中国とベトナムの経済関係は断絶してしまったが、1989年になってソ連の崩壊が始まると中越関係は改善の兆しが見られるようになり、小規模な国境での民間貿易が始まり、ソ連崩壊後の1992年中越国交は完全に正常化した。

友好関係にある自治体 [編集]

日本熊本県
関連項目 [編集]

サッカー広西代表
外部リンク [編集]


ウィキメディア・コモンズには、広西チワン族自治区に関連するカテゴリがあります。
広西チワン族自治区人民政府 (中国語)
広西--人民網日文版
新華網 広西頻道 (中国語)
 [1] 岭南民主共和国 広西チワン族独立運動
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表・話・編・歴
広西チワン族自治区の行政区画
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表・話・編・歴
中華人民共和国の行政区画
「広西チワン族自治区」は、中国の地理に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/PJ:中国)。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83% ... B%E5%8C%BA
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Re: 広西

Jul 30th, '11, 22:49

中華民国 広西省

← 1912年 - 1949年 →
簡体字 {{{simplified}}}
繁体字 廣西
拼音 Guăngxī
カタカナ転記 グアンシー
国家 中華民国
行政級別 省
政府所在地 南寧県(1912-1932)
桂林市(1932-1937)
宜山県(1937)
桂林市(1937-1949)
建置 1912年
消滅 1949年 
面積
- 総面積({{{area_metro_as_of}}}) 218,923 km²
人口
広西省(こうせい-しょう)は中華民国に存在した省。現在の中華人民共和国広西チワン族自治区の大部分に相当する。

目次

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1 地理
2 歴史
3 行政区画
3.1 省会
3.2 道制
3.3 県
3.4 行政督察区
4 脚注
5 関連項目
地理 [編集]

清代の広西省の管轄区域をほぼ継承し、現在の広西チワン族自治区の欽州市、北海市全域、防城港市の港口区、防城区、東興市を除く大部分、広東省懐集県を管轄した。

東は広東省、西は雲南省、北は湖南省及び貴州省、南はフランス領インドシナに接していた。

歴史 [編集]

1911年(宣統3年)、辛亥革命が勃発すると11月7日に広西省は独立宣言、大漢広西全省国民軍が、同月19日、右江軍政分府が柳州に、20日には南寧副都督府が設立されている。

1912年(民国元年)1月、広西軍政府の行政機構変更が行われ軍政司と民政司が設置、1914年(民国3年)5月に民政長を巡按使に、1916年(民国5年)には巡按使は省長と改称されている。1925年(民国14年)8月3日、広州国民政府は広西全省綏靖処の設置を決定、全省の軍政及び民政を統括する中央集権的な行政機構を設置したが、1926年(民国15年)5月13日には広西全省綏靖処は廃止となり、省行政機構は省務会議に移管された。1927年(民国16年)2月25日、国民党広州政治分解は省務会議の廃止を決定、その機能は省政府委員会に改編、5月15日に広西省政府委員会が南寧市に成立した。

1927年(民国16年)に発生した上海クーデター以降、広西省は南京国民政府に帰属した。

1949年(民国38年)11月2日、国共内戦の結果、共産党軍により「解放」され、中華民国は実効支配権を喪失している。

行政区画 [編集]

省会 [編集]

清代の広西省の省会は桂林県に設置されていた。辛亥革命後、広西省参議会は桂林に反革命派勢力が存在し共和制の政治体制を確立するに問題ありとして南寧へ移転させる主張が行われた[1]。しかし桂林は清代を通して省会が設置されていたことから、省会移転には強い反対の声が上がっていた。そのため軍政、教育、司法の3司を桂林、それ以外を南寧に設置する現状を追認、広西臨時議会が成立後に改めて協議を行うこととし、1912年(民国元年)、中華民国が正式に成立した後もこの方針が追認された。

同年8月、広西都督及び広西議会が南寧で業務を開始、これにより南寧が正式に広西省の省会となったが、6司中3司は桂林に設置されたままとなっていた。1914年4月25日、広西民政庁は広西都督との協議の結果、省会を桂林に移転することを決定、1915年(民国4年)6月、大総統令により南寧が省会と定められた。しかし将軍は桂林に継続して駐在したことから巡按使は年に一度桂林に出張し将軍と競技する必要があった。この決定に対しても広西各界から反対の声が上がり、南寧派と桂林派の主張が繰り返されていくことになった。

1936年(民国25年)10月、軍事的弱点のある南寧より桂林に省会が移転している。日中戦争期間中は日本軍の侵攻により桂林は陥落、省会は一時期宜山県に移転されている。

道制 [編集]

辛亥革命直後は清代の道は廃止されたが、1913年(民国2年)2月、北京政府は省域に邕南道、郁江道、漓江道、柳江道、田南道、鎮安道の6道を設置[2]、4月5日には観察使を任命している。1914年(民国3年)5月、『道官制』に依拠し南寧道、蒼梧道、桂林道、柳江道、田南道、鎮南道と改称されている。1925年8月、広州国民政府が広西道を管轄すると道制は廃止されている。

県 [編集]

中華人民共和国成立直前の管轄県は下記の4市99県。


桂林市:1931年桂林県中心部に省政府直轄の桂林市を設置。*南寧市:1946年8月、邕寧県中心部に設置。
梧州市:1927年12月、蒼梧県中心部に設置。1936年6月に廃止となり蒼梧県に編入されたが、1946年8月に再設置。
柳州市:1946年8月、柳江県中心部に設置。
臨林県:清代の桂林府附郭県。1912年1月に桂林府に統合。1913年に桂林府は桂林県と、1930年に臨林県と改称された。1936年10月から1940年5月まで省会が設置されている。

郁林県
永福県
横県
賀県
懐集県
河池県
果徳県
灌陽県
貴県
宜山県
忻城県
恭城県
義寧県
敬徳県:清代の恩陽県。1936年6月に敬徳県と改称。
桂平県:清代の潯州府附郭県。1912年1月に潯州府に編入。1913年に潯州府は桂平県と改称。
興安県
興業県
向都県:1916年12月、天保県向武土州及び奉議県都康、上映土州に武都県を設置。1917年2月に向都県と改称。
左県
三江県:清代の懐遠県。1914年1月に三江県と改名。
思恩県
資源県:1936年3月、西延県から分離設置
修仁県
象県
上金県
鍾山県:1916年10月、富川県鍾山鎮及び昭平県防楽区に新設。
信都県
昭平県
上林県
上網県
思楽県
綏淥県:1916年7月、忠県として設置。後に綏淥県と改称。
崇善県
靖西県
遷江県
西隆県
西林県
全県
宣北県:1912年1月、安化県を設置。1914年1月に宣北県と改称。
蒼梧県:清代の梧州府附郭県。1912年1月に梧州府に編入。1913年に梧州府は蒼吾県と改称。
中渡県
鎮結県
鎮平県
天河県
天峨県
田西県
田東県:清代の恩隆県。1936年6月に田東県と改称。
天保県
田陽県:1912年1月、奉議県として設置。1936年6月に田陽県と改称。
東蘭県
都安県
藤県
同正県:1912年1月、永康県を設置。1914年1月同正県と改称。
那馬県
南丹県
寧明県
博白県
百寿県:1912年1月、永寧県として設置。1914年1月、古化県と、1933年2月に百寿県と改称。
賓容県
百色県
凭祥県
扶南県:1913年1月、新寧県として設置。1914年1月に扶南県と改称。
富川県
武宜県
武鳴県:清代の武縁県。1913年に武鳴県と改称。
平治県:1918年に恩林県を設置。1934年に平治県と改称。
平南県
平楽県:清代の平楽府の附郭県。1912年に平楽府に統合。1913年3月に平楽府は平楽県と改称された。
鳳山県
北流県
万岡県
万承県
明江県
蒙山県:清代の永安州。1912年1月に永安県に改編。1914年に蒙山県と改称。
融県
邕寧県:1913年6月、南寧県として設置。1914年6月に邕寧県と改称。
容県
陽朔県
養利県
来賓県
雷平県
楽業県
羅城県
雒容県
陸川県
柳江県:清代の柳州府附郭県。1912年1月に柳州府に編入。1913年6月に柳州府は馬平県と改称された。1930年1月、柳州県、1937年6月に柳江県と改称された。
榴江県
竜勝県
隆安県
隆山県
竜津県:1912年1月に竜州県を設置。1937年6月に竜津県と改称。
竜茗県
凌雲県
嶺渓県
霊川県
荔浦県
このほか1947年2月に南京政府により設置が決定したが国共内戦の影響で正式に設置されなかった県は下記の通り。

環江県
義寧県
祥明県
鎮都県
福臨県
扶綏県
万利県
邕西県
洛江県
竜県
麗浜県
行政督察区 [編集]

行政督察制度は省政府と県政府の間に中間行政機構を設置し、各県を監督させる制度である。1927年(民国16年)、広西省政府は省管轄区が広大であり、各少数民族が雑居する状況を考慮し、国民政府に『広西各区行政督察署組織条例』を上申、国民政府は11月14日に行政督察委員の設置は1916年(民国15年)に廃止した道制を復活させるものであり経費問題もあり設置は認められないと不許可の方針を伝達[3]している。しかし広西省政府は桂林、柳江、田南、鎮南の4区行政督察委員の設置を再度上申、同時に関係条例案や予算案などを提出しているが、1927年(民国16年)12月13日に再度不許可の決定を下している[4]。

1934年(民国23年)3月10日、行政効率向上のために『広西省行政監督督察章程』を公布、当時行政院は公布した『各省行政督察専員暫行条例』や河北省や河南省が公布した『剿匪区内各省行政督察専署組織条例』とも異なり、管轄県への省政府政策の推進、管轄県の監督と県同士の連絡業務、管轄県の県長及び副県長の人事考課を目的としたものであり、南寧、桂林、梧州、平楽、柳州、百色、竜州、天保の8区が設置された。1936年(民国25年)9月に9区、翌月に10区、1939年(民国28年)2月に12区に改編された。1930年(民国29年)11月、行政督察委員が正式に発足している。1942年5月には7区に行政統合が行われた。

1945年(民国34年)、日本の敗戦以降は全省は9区に再編されると同時に、桂林市は省直轄市とされ、1949年(民国38年)の中華人民共和国建国まで沿襲された。

脚注 [編集]

^ 魏継昌「辛亥革命時期我在広西的一些見聞」
^ 『政府公報』504号 1913年9月29日
^ 『国民政府公報』第15期 1927年12月
^ 『国民政府公報』第18期 1927年12月
関連項目 [編集]

中華民国の行政区分
前の行政区画
広西省
広西自治区の歴史的地名
1913年 - 1949年
次の行政区画
広西チワン族自治区

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83% ... F%E7%9C%81
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