黄岩島
黄岩島(こうがんとう、簡体字:黄岩岛 Huányán Dǎo,正体字:南巖島 Nányán Dǎo, 英語:Scarborough Shoal または Scarborough Reef, フィリピン名:Panatag Shoal または Panatag Reef)は南シナ海の中沙諸島中で唯一海面から露出している島で、北緯15度7分、東経117度51分、中沙環礁から160海里、フィリピンのスービックから100海里の位置にある。スカボロ礁、スカボロー礁、スカーボロ礁、スカバラ礁とも呼ばれる。
目次
[非表示]
1 地理
2 歴史と主権争い
2.1 中華民国
2.2 中華人民共和国
2.3 フィリピン
2.4 主権問題の激化
3 現状
地理 [編集]
黄岩島の周囲は水深0.5~3m、周囲55km、面積150km²の二等辺直角三角形の環礁で、130km²、水深10~20mの礁湖を持つ。黄岩島は水深3500mの海盆上にあり、深海の平面にある海底の山が水面に露出した部分である。黄岩島の礁湖の南端には外海と繋がる長さ400m、水深9~11m、幅360~400mの水路があって、小型中型の船が漁業活動を行なったり風を避けることができる。地質構造上でみると黄岩島は大陸棚の自然延長である。
歴史と主権争い [編集]
中華民国 [編集]
黄岩島は中国人に最も早く発見されたとされ、その付近海域も海南島の漁民の古くからの漁場だった。1279年、著名な天文学者郭守敬が「四海測験」を行なった時、南シナ海ではこの島を測量地点としたとされる。1935年1月、中華民国水陸地図審査委員会は黄岩島を中華民国の版図へ入れた。1947年末、中華民国内政部の正式に編纂出版した『南海諸島位置図』で(当時「民主礁」と呼んでいた)黄岩島を「断続国界線」内へ入れた。この線を法的効力のある歴史的境界線として、中華民国は線内の島、礁、浅瀬、砂州の主権を主張した。
中華人民共和国 [編集]
1983年、中華人民共和国地名委員会は「我国南海諸島部分標准地名」を公布して黄岩島を標準名称とした。
フィリピン [編集]
遅くとも16世紀には、すでにその付近海域はフィリピンの漁民の漁場だったとされる。1898年の「パリ協議」、1900年の「ワシントン協議」、1930年の「英米条約」により、東経118度をフィリピンの西限とし、黄岩島はこの外にある。1935年の「憲法」と1961年の「領海基線法」でもフィリピン政府は重ねてそのことに言及した。1990年代以前に出版されたフィリピンの地図は黄岩島をその領土に入れていない。
1990年代以前は、(含フィリピン)国際社会は中国が黄岩島に主権を有する事に何一つ異議を出していなかった。しかし当時、黄岩島はアメリカ合衆国の支配下にあったのである。
主権問題の激化 [編集]
1980年以後、フィリピン政府は黄岩島を200海里排他的経済水域内とした、しかし実際にはフィリピンに駐在するアメリカ軍の管理下にあって、フィリピンは主権を要求しなかった。1992年にアメリカ軍はフィリピンから撤退し、1994年「海洋法に関する国際連合条約」に調印後、黄岩島が200海里排他的経済水域内である事を理由に、そこに海洋管轄権を持ち、そこから黄岩島に対する主権を有する事を宣言した。
1997年、フィリピンが軍艦と軍用機を何度も出動して民間組織のラジオ局による探検活動を追跡、監視して妨害をする。
1997年4月30日、フィリピンの二人の衆議院議員が軍艦に乗って黄岩島に上陸、旗と碑を立てて、中国漁民の妨害と威嚇を行なった。
1998年1月から、中国海南省の4艘の漁船が2ヶ月の間に不法入国としてフィリピン海軍に拿捕され、51名の漁民がフィリピンに半年間拘禁される。
1999年5月23日、中国の漁船が黄岩島でフィリピン軍に追撃され激突、11名の漁民が水に落ちた。報道によるとフィリピン海軍は漁船追跡時に機関銃を掃射していた。中国外交部スポークスマンはフィリピンへ抗議し、交渉を呼びかけた。
1999年6月、フィリピン教育部は新しい地図の中で、黄岩島と南沙諸島を版図へ入れた。8月、フィリピン政府は「南沙諸島はフィリピン領土」である旨の憲法改正によって領土拡張を試みた。
1999年11月3日、フィリピン海軍の1艘の艦艇が黄岩島のパトロール中に座礁。フィリピンは軍艦は救援参加時に故障が発生したと公言、中国と何度も交渉を行なったが、依然として船を撤去していない。
2000年、フィリピン海軍が中国漁船船長を1名射殺。
現状 [編集]
実際に黄岩島周辺海域はフィリピン海軍の管理下に置かれている。
------------------------
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84% ... 9%E5%B3%B6