九広鉄路
九広鉄路(きゅうこうてつろ、九廣鐵路, 九广铁路, Kowloon Canton Railway)は香港において運営されている鉄道会社線である。略称は KCR と表記される。運営は九広鉄路公司 (Kowloon-Canton Railway Corporation) が担当してきたが、2007年12月2日より香港鉄路有限公司 (MTR Corporation Ltd.) に運営権が移譲され、車輛と施設を香港鉄路有限公司に貸し出す形をとっている。
九広鉄路の運営は、香港と中華人民共和国という特殊な行政地域をまたいで行われているため、複雑な形態となっている。また、運営には過去の歴史的な背景が密接に関係している。このため、この項では主に香港側に主眼を置いて詳述している。
大埔墟駅
目次
[非表示]
1 概要
2 路線
2.1 沙頭角支線(廃線)
2.2 和合石支線(廃線)
3 施設
4 関連項目
5 外部リンク
[編集] 概要
九広鉄路 (KCR) の香港区内路線図(2007年時点)
1910年、後に香港側で呼ばれる『九広東鉄(KCR East Rail、元九広鉄路英段、通称: 東鐵)』の中国側(九広鉄路華段)を含めた全区間、九龍~広州間の 178.7km が完成し全通する。元々直通運転だったこの路線は、1949年の中華人民共和国成立により国境での分断運転となるものの、1978年には直通運転が復活、以来香港と中国内陸部との大動脈として機能し、広東省の広州(~広州東駅)や仏山(~仏山駅)、また北京(~北京西駅)や上海(~上海駅)まで運転されている。
開業以降、1982年5月16日の九広東鉄沙田電化開業までは、1時間に1本程度のローカル線然とした運行形態であった。羅湖駅までの電化が完成したのは1983年7月15日である。電化以降、香港領内では新界北部の通勤の足として機能する様になり、それに合わせて沿線の宅地開発が急速に進んで行く。開発後は超高層アパートが数多く建設された。
近年、KCRでは新線建設に積極的である。2003年12月には、九龍中心部と香港のベッドタウンである新界中央部とを結ぶ九広西鉄が完成。1988年にKCRは新界西北部のニュータウンにLRT(輕便鐵路)を開通させていたが、開通後の長い間LRTは香港内のその他の軌道系交通とは隔離された存在であったが、この九広西鉄開業で同時にLRTへリンクされ、元朗や屯門と言った新界西部地区に於ける交通網整備の飛躍的向上に繋がった。その後2004年には尖沙咀 (Tsim Sha Tsui) 地区まで延伸(尖東駅)、2009年にはさらに延伸、九広東鉄と接続し、東西の接続駅は元の起点であったホンハム駅(旧九龍駅、AELが開通した際、そちらに九龍駅ができたときに改称)となった。
これとは別に2004年には九広鉄路の支線である九広馬鉄が開通し、新界沙田地区東側のベッドタウンと都心とを結ぶ路線が開通した。この路線も香港島中心部の金鐘 (Admiralty) 地区まで延伸される予定である。
さらには、九広鉄路の新たな支線として、上水駅から伸びる落馬洲支線が2007年に開通した。今まで鉄道における香港と中国の深圳との境界は羅湖のみだったが、2つめの列車による旅客輸送による境界横断の為の新路線である。
また、広州と香港を結び新界を長大トンネルで抜ける広深港高速鉄道など、この他にも各路線の新設や延伸計画等が複数存在する。
九広鉄路は1983年に香港政庁の部門から会社に組織転換された。しかし、その後も政府が全株所有し続け、また労使関係や組織の硬直化が問題視された。2006年には経営効率化のため既に民営化されていた地鉄公司(MTR Corporation, 香港の地下鉄の運営会社)に路線の運営権を委譲し、事実上吸収合併されることになった。
KCR鉄道線の全駅でオクトパスと呼ばれる、非接触型ICプリペイドカードが使用出来る。また九広鉄路公司では、KCR路線上の駅から周辺の住宅地まで旅客を運輸するフィーダーバス路線も展開している。
[編集] 路線
路線名 区間 距離 開通年
九広東鉄 (KCR East Rail) ホンハム (Hung Hom) - 羅湖 (Lo Wu) 35.5.km 1910年
九広西鉄 (KCR West Rail) ホンハム (Hung Hom) - 屯門 (Tuen Mun) 35.7km 2003年
馬鞍山鉄路 (Ma On Shan Rail) 大圍 (Tai Wai) - 烏溪沙 (Wu Kai Sha) 11.4km 2004年
九広軽鉄 (KCR Light Rail) 1988年
[編集] 沙頭角支線(廃線)
粉嶺(Fanling) - 洪嶺(Hung Ling) - 禾坑(Wo Hang) - 石涌凹(Shek Chung Au) - 沙頭角(Sha Tau Kok)
1912年開通、1928年廃止。 九広鉄路 (英段)は当初軌間610mmの軽便鉄道として着工されたが、工事途中で標準軌(1435mm)に変更された。このため不要となった軽便鉄道用の資材や車両を転用して建設されたのが、沙頭角支線だった。旅客列車は全線11.67kmを55分かけて走り、かつ客車には屋根がないトロッコのような台車が使用されていた。このため、1927年に並行する道路が開通すると乗客が激減し、翌年廃止された。
[編集] 和合石支線(廃線)
1949年開通、1983年廃止。 粉嶺駅南側の本線上から分岐し、和合石(Wo Hap Shek)へ至る路線で、途中駅はなかった。 和合石は大規模な墓地がある場所で、埋葬する遺体を運ぶ霊柩列車を運行するために建設され、清明節や重陽節などの墓参シーズンには臨時の旅客列車も運行された。九広東鉄の電化に伴い廃止された。
[編集] 施設
香港鉄路博物館
------------------
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D% ... 4%E8%B7%AF